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こんにちは。なべおです!
今回は少し重いテーマかもしれませんが,ニーチェ哲学について,名著『ツァラトゥストラはかく語りき』をもとに解説していきます。
突然ですが,生きる目的・意味について誰しも一度は考えたことはあるのではないでしょうか。
私たちはいつかは死ぬのにも関わらずなんのために生きているのか、生まれた意味とは何なのだろうと思ったことはあるのではないでしょうか。
当然といえば当然ですが先人の哲学者たちも同じような考えを抱き、熟考し答えを考えようと努めてきました。
その代表的な一人がニーチェです。
ニーチェは19世紀半ばから後半にかけて活躍したドイツの哲学者です。
ニーチェの哲学というと抽象度高くて複雑で難しそうといったイメージをもたれるかもしれません。
しかし,私も勉強してみると意外とシンプルでかつ本質をついているような気がしました。
本記事ではそんなニーチェ哲学について分かりやすく解説していきます。
ぜひ最後までお読みいただき頂けると幸いです。
目次
ニーチェの生きた時代の哲学の特徴~個人主義~

この時代の哲学の大きな特徴としては個人主義があります。
中世までのヨーロッパはキリスト教が私達の生活の隅々にまで浸透していました。
ローマカトリック教会を中心にキリスト教(カトリック)が生活の中心で、キリスト教の教えに従うことが絶対的な正義だとされていました。
キリスト教を信仰し、教会のために一生懸命働き、税を払い、自らは質素な暮らしをすることが正しく、そんな生活こそが正しい生き方だとされてきたわけです。
しかし、そんなキリスト教絶対主義的は「科学的」、合理的ではないとのことで、近世以降、崩れていきます。
代表的なのはコペルニクスによる地動説の発見でしょう。
それまでは地球が宇宙の中心である天動説が絶対的な正とされましたが、「科学的」に地球ではなく太陽が中心であることが証明されたわけです。
近世は他にも様々なことが科学的に証明されていき,キリスト教絶対主義は崩壊していったわけです。
ただこれによりヨーロッパの人々は何を軸として,絶対的なものとして毎日を生きていくべきなのかがわからなくなってきてしまいました。
そこで彼を始め,近世の哲学者は個人主義を唱えました。
個人主義というと「わがまま」なのではないかと思われる方もいるかもしれませんが,そうではありません。
個人主義というのは私たち自分自身の思想や考え方を尊重する主義・思想です。
それまではキリスト教的価値観が絶対的な正義だとされてきたわけですが,そうではなく,私たち個人が自由に思想・考えをもってよく,その思想・考えに基づいて生きていくことが正しいとされたわけです。
少し長くなりましたが,ここまで「個人主義」について見てきました。
ではその中でニーチェはどのような思想を説いたのでしょうか。
ニーチェ哲学を分かりやすく解説!

ここからはニーチェの名言やニーチェ哲学でカギとなる言葉を基にニーチェの思想について分かりやすく解説してきます。
「神は死んだ」
ニーチェについて特段知らなくても,この言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。
「神は死んだ」は『ツァラトゥストラはかく語りき』のなかでも登場する言葉なのですが,この言葉の意味は知らないという方も多いのではないでしょうか。
この言葉の意味はさきにもお伝えした個人主義の浸透と密接にかかわります。
ニーチェの生きた時代では神(それ以外にも絶対的に正しいものとされた真・善・美などもそうです)といった絶対的な価値観はなく,またそれを基に生きるべきではないということを端的に表した言葉です。
これからは神ではなく個人個人の中で絶対的に正しいものを持って生きていくべきだということを説いたわけです。
実際ニーチェは以下のような名言を残しています。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
マイナビニュースより引用
絶対的に正しいものではなく,日々の出来事をにおいてもそれをどのように受け入れるか・解釈するかが肝要というわけです。
ニヒリズム
ニーチェ哲学を語るうえで欠かせないワードは「ニヒリズム」です。
ニヒリズムとは日本語に訳すと「虚無主義」ですべてのあらゆるものに価値や意味はないという思想です。
先にもお伝えしたようにニーチェは神などの絶対的な正義を否定します。
ただニーチェはこのニヒリズムにより絶対的な価値観を失い,生きる意味・目的を見失い,毎日を無目的に過ごすことを強く否定しています。
これは消極的ニヒリズムとも呼ばれるのですが,そんな人生はなんとなくだけれど嫌だと皆さんも感じるのではないでしょうか。
それであれば自分なりに生きる目的を定義し,それを全うしようと努める人生のほうが幸せになるのではないでしょうか。
もちろん長い人生によって生きる目的などは変わることもあるでしょうが,それもまた人生でしょう。
また人に依って生きる目的も当然絶対的な正しさがないのですから変わって当然です。
こういった自ら価値を仮象し(主観に基づき実在を定義し),それを全うすることを推奨する思想・生き方を積極的ニヒリズムというのですが,ニーチェはこのような思想・生き方を「推奨」しています(もちろんこれが絶対ではないです)。
人それぞれの価値観があり,それに基づき日々を生きていけばよいのではないでしょうか。
超人
超人いうとスーパーマンか?と思われるかもしれませんが,そうではなく先にお伝えした積極的ニヒリズムに基づき生きている人のことを「超人」と定義しています。
このような超人になることをニーチェは推奨しているわけです。
なおこれに関連してですが,自分自身の価値観,「軸」と呼べるものを模索しながら生きていく人間をニーチェは「強い」人間だと主張しています。
これに対し消極的ニヒリズムに甘え,そういった「強い」人間に対しては恨みや怨恨だけを抱くことを強く否定しています。
こういった恨みのことを「ルサンチマン」と言います。
永遠(永劫)回帰
ニーチェの根本・晩年の思想として,押さえておくべきものが永遠(永劫)回帰です。
この永遠回帰とは私たちはたとえ死んだとしても,これからも同じような生を歩んでいく,またそのなかで仮に99%が苦痛だったとしても,1%の幸福があるはずで,それを目的に生きていくのが良いのではないかという思想です。
積極的ニヒリズムに基づき自らの価値観を模索しながらも発見し,それに基づき生きていくことは決して簡単なことではありません。
自分は何のために生きているのかやっぱりわからないと思い悩むことも往々にしてあるでしょう。
そのため,苦痛と感じることも多く,またそのはずです。
ただその中でもそんな人生を受け入れ,もがきあがきながらも生きていくことをニーチェは肯定し,そう受け入れることを「運命愛」としてニーチェは定義し,肯定しています。
ここまでニーチェの思想をかみ砕きながらもざっと説明しました。
ニーチェは19世紀の人ですが,現代にも非常に通じる思想を展開しています。この21世紀に改めてニーチェを再考する価値はかなりあると個人的には考えています。
本記事の内容が少しでも皆さんのためになったということであれば幸いです!
最後までお読みいただきありがとうございました!