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【解説】『山月記』中島敦の有名短編小説を徹底解説!

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こんにちは。なべおです!

今回は中島敦著の短編小説『山月記』について解説していきたいと思います。

多くの教科書にも掲載されており、皆さんも一度は読んだことがあるのではないでしょうか❓❓

僕も高校生の時にこれを国語の授業で読み(読まされ)ましたが、正直あまり腑に落ちず、よくわかりませんでした。

しかし大学生になって今一度山月記をふと読み返してみたところ、今となっては主人公の李徴の心理状態などもよくわかり、とても感動しました。

そこで今回はそんな山月記の魅力とともに、読んでもよくわからなかったという方のために、分かりやすく『山月記』を解説していきたいと思います。

ぜひ最後まで読んでみてください!

今回お伝えする内容は以下の3点です!

  • 山月記のあらすじを紹介!
  • 山月記で伝えたかったこととは
  • 山月記の気になる疑問を解説!

順番に見ていきましょう!

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山月記のあらすじを紹介!

まずは『山月記』の簡単なあらすじから見ていきましょう!なお、まだ山月記を読んだことがないという方はまずは分からないところがあっても良いので一度読んでみてください!

主人公の李徴(りちょう)は博学多才で若くして高位につくエリート官僚でした!

しかし、その一方で人付き合いは苦手で、どうしても職場にうまくなじむことができず、現状の生活に不満を感じていました。

また自尊心が高かったことから、上司に使われるのにも納得がいかず一念発起、詩人として名をはせることを目指します。

しかし李徴は詩人としての才能が十分でないことを悟り、再び元の職場に戻ることになりました。しかし、当時は鈍物として李徴ほどの実力がなかったものが高位高官についていることを目にした李徴は、自らの自尊心が傷つき、発狂することとなります。

翌年、李徴の同期で、李徴の数少ない友人であった袁傪(えんさん)は月明かりがわずかに残る中、林の中を歩いていたところ、一匹のトラと出会います。

そのトラは袁傪に嚙みつこうとするのですが、「あぶないところだった」と言って、すぐに身をひるがえして草むらに隠れます。

その時に袁傪はこのトラを旧友の李徴のトラになった姿だと認識します🐅

その後、李徴と袁傪は昔話に興ずるのですが、その中で李徴は自らが虎になった経緯を語ります。

1年ほど前に、誰かから招かれるように林に向かい気がついたらトラの姿になっていたと語ります。

ただ、1日のうちに数時間は人間としての心が芽生えるときがあり、人間の言語も操れ、複雑な思考もできるとしています。

そんな中、李徴は最後のお願いとして袁傪に自ら書いた漢詩を伝録しておきたいとお願いをします。

そして、それが終わった後に今の李徴自身の思いを即席の詩にしたためます。

この詩の内容についてはぜひ直接手に取って確認してみてください!

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即席の詩を語り終えた李徴は自らのトラになった理由として、よくは分からないものの、自らの「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が自分をトラの姿にしたのではないかと述懐しています。

人づきあいが苦手で、仲間ともあまり話さず、自らを高めようとしなかった。自尊心はあったものの、それは臆病であったと,ただ他人に対する羞恥心はとても強かった,それが、外面は強いが実は内面は脆いというトラの性にあっていたと振り返っています。

そして段々と夜明けが近付いてきます。そんな中李徴は、ここまでずっと話を聞いてきてくれた袁傪に最後にいくつか頼みごとをします。

まず自らの母と子の面倒を見てほしいと依頼します。そして自ら(李徴)は死んだと伝えてほしいとお願いします。

次に帰りにはここを通らないでほしいと頼みます。帰りには完全にトラの心に変わり果てて、袁傪をかみつくしてしまうかもしれないからだとしています。

袁傪はこれを快く承諾します。そして本当の最後に李徴は自らのトラの姿を袁傪に示します

この後に袁傪は立ち去り、最後に以下の言葉で締めくくられます。

虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

出典;『山月記』

山月記で伝えたかったこととは?

山月記の一つのテーマとして「自意識」があると思います。

李陵が虎になった要因としてもその一つに臆病な自尊心と尊大な羞恥心、すなわち過度な自意識があったと分析できます。

「自意識過剰」という言葉もあるように、自意識が過度に敏感だと、自分がどう思われているのかが気になりすぎて、自分の軸に沿った人生を満足に送れなくなってしまいます。

気にしているのは自分だけで周りの人は大して気にしていないということも往々にしてあります。

周囲のことは気にせず自分が正しいと思ったことをやり通す

この重要性を山月記では伝えているのではないかと僕は考えています。

中途半端は良くない!

李徴は官吏の道・詩歌の道どちらでも大成することができませんでした。

決して才能がないわけではないものの、その才能を生かしきれませんでした。

その一つの理由として、「どちらも中途半端だった」ということが挙げられるかと思います。

あとで紹介する「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」という言葉にもあるように、何か1つのことを大成するだけでもとても大変です。

そのため自分の軸をころころ変えて中途半端に生きるよりも、自分の信じた道をまっすぐ突き進むほうが、人生はうまくいくと僕は思います。

たとえくじけそうになっても、ちょっとのことで諦めてはいけません。

「自分の信じた道を突き進め!」そんなことも教えてくれているような気がします!

山月記の気になる疑問を解説!

ここからは山月記について皆さんが思っているであろう気になる疑問をいくつか解説していきたいと思います。

  • 山月記における「月」の役割は?
  • 山月記に登場する名言を解説!
  • 山月記における李徴は作者自身?

順番に見ていきましょう!

山月記における「月」の役割は?

山月記においてはタイトルにも「月」が入っているように「月」についての言及が何か所かあります!

この「月」にはどのような意味があるのでしょうか❓❓

もちろん様々な解釈は可能だとは思いますが、僕は主人公李徴の人間としての心を象徴しているのではないかと思います。

いくつか山月記の中で登場する月への言及をもとに確認していきましょう!

「残月の光をたよりに林中の草地を通っていった時に〜」

これはトラの姿ではあるものの人間としての心がまだ残っている、小説序盤の袁傪が林の中を進む場面ですが、ここでのポイントは袁傪が月光を頼りに林を進んでいる点です!

つまり暗い中、その道しるべとして月光があるということは、人間である袁傪が、同じ人間としての側面の李徴(しかも袁傪の旧友)を頼りにしているといえるのではないでしょうか❓❓

「時に,残月,光冷ややかに,〜」

これは李徴が即興の詩を読んだ後の一節ですが、この時は月の光が「冷ややかに」なっているのがポイントです。

つまりこの時は李徴の心が少しずつトラの心に戻ってきていることを暗に示しています!

つまり、残月は李徴の「人間としての心」を示しているといえると考えられます!

「虎は既に白く光を失った月を仰いで」

これは最後にトラとなった李徴が、空谷に向かって吠えるシーンですが、このシーンでは「既に白く光を失った」とあるように、月の光は残っていません。

このことはトラへと心が完全に変容した李徴を暗示しているといえるのではないでしょうか🤔

以上の観点から山月記における「月」は李徴の人間としての心を象徴しているといえると思います。

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山月記に登場する名言を解説!

山月記には多くの今にも残る名言が書かれています。

その中でも僕が特に好きなのが李徴の「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」という一節です。

人生は大体80年程度ですが、当然ながら無目的に生きるにはあまりにも長い時間です。時が流れるのがとてもゆっくりに感じ、無為徒食の日々となってしまうでしょう、、、

その一方で、何か一つのことを成し遂げるのにはあまりにも短い期間であるといえると思います!

詩歌の道もさることながら、何か自分の夢や希望を実現するのは相当の努力が必要不可欠であり、多くの人が夢道半ばで死を迎えてしまいます。

中途半端でいてはいけない。

何事かをなすために、少しの時間も無駄にしてはいけない。

そんなことも山月記では教えてくれています

山月記における李徴は作者自身?

実は山月記における主人公李徴は作者自身を投影しているのではないかという意見もあります。

李徴は最初は官吏としての道を歩もうとしていましたが、道半ばで断念し詩歌の道を歩みますが、自分の才能に絶望し、官職に戻ったものの、発狂し、トラの姿になってしまいました。

山月記の作者である中島敦は第一高等学校、東京帝国大学国文科を卒業するなどエリート街道をひた走りました。

そして大戦中、パラオに赴任し教科書の編纂事業に携わって活躍したものの、作家としての道を捨てきれず、専業作家となりました!

つまり彼も李徴と同様に、官公庁から作家という道をたどってきたのです。

そんな中島敦氏の性格も、幼い時から持病を持っていたこともあり、繊細・クールな性格だったそうです。

ただ人付き合いはそこまで悪くはなかったようで情熱を持っていた子だったそうです。

そんな中島敦氏は1942年にこの『山月記』を上梓し、これが大きな反響を呼んだのですが(今でいう大ブレイクしたのですが)同じ年、8か月後に彼は早逝してしまいます。わずか33歳です、、、

なんだかこれは李徴が自らの人間としての心を失いトラになってしまったことを思い起こさせます、、、

実際に中島敦の妻の中島タカ夫人はのちにこう述べています

帰つてから、ある日、今迄自分の作品の事など一度も申したことがありませんのに、台所まで来て、

と申しました。その時の顔は何か切なさうで今でも忘れることが出

「人間が虎になつた小説を書いたよ。 」

来ません。あとで、「山月記」を読んで、まる

で中島の声が聞こえる様で、悲しく思ひました。

中島タカ「お礼に代へて」

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山月記は文章自体は短いものの、書いてある内容はとても濃くまさに珠玉の名作だと僕は思います!

ぜひ直接手に取って読んでみてください!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

今日のポジティブなこと3つ

  • 『山月記』が読めたこと
  • 大学でばったり友達にあったこと
  • 大学の授業が明日から始まること